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2008年5月28日 (水)

海がみたい、とあいつは言った

まあ、あいつと言いますか私ですが。

ちょっと海まで行ってまいりました。
と言いましても原付で30分もかからないくらいです。
海のない埼玉県に生まれた私ですので、
実際のところ、海のことなどよくわかりません。
ですが、いや、だからこそ、妙なあこがれを抱いて海を見てしまうのです。

出身県の同じ私の友人などは、とある島に行きましたときなど、
冬の海の写真を一日中撮っておりました。
白波が立つだけで面白い、風でさざめくだけで面白い。
当たり前のように海を見て育った方には、
こうした感情はわかりづらいかも知れません。

いや、海には限りません。
本当の苦労や辛さはわからないまま目に触れていくような、
旅人だけが持ちうる無責任さをはらんだ無条件のあこがれは、
たとえどれほど情報の流れが発達しましょうとも、
自分の生まれ育った土地の経験と不可分のものとして、
人の中に澱のように溜まっているものだと思います。

そして、旅人の持つ無邪気さは、時に彼らが積み重ねてきたものを、
非常に無責任に横暴にかきまわし、引き出していくものです。

さて、私が今回立ち寄りました漁港は近年整備がなされ、
観光用の魚介類市場と食堂街が建てられております。
新鮮な魚類が毎日売られており、平日にもかかわらず、
時折は観光バスも止まり、多くの人が訪れます。
建物も、窓枠などの細かいところまで魚のモチーフが使われ、
週末などは、非常に多くの人でにぎわうもののようです。

もちろん、この港は整備が行われる以前より漁港でして、
観光も含んだ形で漁港が続けられてきたものと思われます。
漁協の大きな建物にも、現在の観光化が進められる前に、
漁港で捕れる海産物を描いた壁画が見られます。
その中の一つが、このようなものです。

Img_3598s


(クリックすると拡大します)

特に、魚たちの目にご注目ください。
あるいはこれを描いた方は、漁業に携わる方なのでしょうか。
魚よりも漁船に、
生き生きとした感情が見て取るのは私だけでしょうか。
「魚に、感情など、ない」そんな断言すら聞こえてきそうな、
その潔い筆致に、私は心揺さぶられるのです。
そして、この透徹した目線をあえておさえ、
観光客にしっかり合わせた現在の市場にまで至る過程を思うと、
感動を禁じ得ないのです。

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