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2008年10月16日 (木)

うごくどうぞう

さて、ふたたび芸術の秋の話題です。

しばらく前、テレビを見ていますと、
公園で活動している路上パフォーマーのニュースをやっていました。
どうも、わりと年齢が高くなって始めた人らしく、
そこが話題にされているようです。

言い方は悪いかも知れませんが、
日本でも良くある、埋め草的なニュースと言えなくもないので、
そんなに長々と紹介されるわけではありません。
それでも、どんな経緯で始めることになったか、
本人のインタビューなども交えて放送しており、
ふわふわと何となしに見てしまうものです。

彼のパフォーマンスは、
銅像に扮して微動だにしないで立っている、という、
日本でも時々みかける類のもの。

カップルが写真をとったり、
子供達がふざけて周囲を走り回ったり、
中には本物の人だと気付かない人が眺めたりしていると、
急に少しだけうわっと動いて驚かせる、
などと言った風景は定番と言えるでしょう。

総じて、台湾では日本よりも、
こういったパフォーマンスへの反応がいいので、
やってても楽しいだろうな、などと想像していると、
だいぶ想像とは違う展開がありました。

Img_52391s


(クリックすると拡大します)

「銅像」としてのクオリティがどうなんだろう、
などといったことはとりあえず置いて下さい。
あまり誰も問題にしてなかったので。

そこも気になるのは気になるのですが、
それよりもはるかに気になったのが、
想像以上に「銅像」氏が動き回っていた点。

写真の状況は、「銅像」氏が公園を歩く人々に、
握手を求めて回っているところです。

他にも、写真を撮る時にポーズを取ってみたり、
露店に「銅像っぽい動き」でガンガン入っていったり、
「さあ、握手、握手」などと、思いきり人にも話しかけていきます。
「ん?これはもしかして、ただの『茶色いオッサン』なんでは?」
と思うくらいに、かなり動き回ってますし、喋りまくってます。
ニュース映像だから動いているところばかり撮った、
とも考えられなくはないんですが、
にしても動き過ぎじゃ、というぐらいガシガシ動きます。

芸術にはまるで縁のない私ですが、
「人が物質を模す」という一見意味のない行為の中に、
人間性と物質性に対する人の感覚を揺り動かす何かがある、
といったようなものがこのパフォーマンスの肝で、
ストイックなまでに自分を「無生物」であろうとする、
その姿勢が何らかの芸術的感動と愉快さを呼び起こす、
そんなことなのかな、と勝手に想像していました。

ですが、今回の「動く銅像」のおじさんは、
私の凝り固まった「芸術」的発想を、軽くぶち壊してくれました。
確かに、人なんですから歩き回りますし、
他の人を見かけたら話しかけます。人なんですから。
いっそ銅像を真似た、と言うことは抜きにして、
ただ「茶色いオッサーン」と呼ばれて親しまれたら、
それはそれで本人も周りも喜んでくれるんじゃないか、とすら思える、
全く人の良さそうな笑顔を浮かべ、近寄ってくる「銅像」。
私にはなかなかに感動的でした。

まあ、「銅像」本人がどう思っているかとは別の問題だとは思いますが、
芸術が既成概念の破壊を目的にしている、というのであれば、
私のガイジンとして、日本の人間としての変に固まった「芸術」観を、
テレビを通してすらぶち壊してくれたこの「銅像」氏は、
まさしくゲージュツ家だと思いますし、
日本でいかにも評価されそうな、
ただの技術的に完璧なだけの(私にはあまり面白いと思えない)
模倣などは軽々と飛び越していける、
まさしく「台湾でしかできない」銅像パフォーマンス
(もしくは台湾の茶色いオッサン)だと思うのです。いや、本当に。
いつか会いに行きたいものです。

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